• 平田博満 / Hiromitsu Hirata

東風、西に往きては異香を薫ず

最終更新: 4月30日

ノマドワーカーという言葉が盛んに謳われたのも過ぎし日のこととなりましたが、スマートフォンといった多機能モバイル端末やWIFIの普及により、単身場所を選ばずに働き暮らすフリーランサー達は世界中でも数を増し、ノマド的生き方が国際的にもより一般化したような印象を受ける今日この頃です。

ノマド(Nomad)とはもともと遊牧民のことを指す言葉です。決まった拠点を持たず、移動した先々で仕事をこなして生きるその姿が、家畜を養うための牧草を求め土地から土地へと渡り行く遊牧民達を彷彿とさせたのでしょう。

しかし移動型生活は遊牧民達の専売特許ではありません。古今東西、商人、宗教者、芸能民といった人々が、目的は違えど諸国を旅し、

それぞれの文化を交流させ、人類の歴史を豊かにしてきました。この記事ではその中でも最も世界に名を馳せている集団の一つ、ジプシーと呼ばれる人々について書きたいと思います。


ジプシー(別名をロマとも言います)は主にヨーロッパ各地に分布するある民族のことを指す言葉です。現在では各地に定住して暮らす者もあるようですが、一般的には遊動生活を送る芸能民としてのイメージが定着しています。国家の規制を受けず自らの秩序によって生活する彼らの様子は、体制側からは無法のならず者として見えたことでしょう。実際にヨーロッパではジプシーやロマといった言葉は、泥棒や物乞いといった負のイメージを帯びて語られることも少なくないようです。


しかしそんな彼らの面目が躍如するのは芸術、文化の世界です。

蠱惑的な媚態で警備兵を誘惑し、破滅に陥れるジプシー女を描いた『カルメン』は言わずと知れたオペラの名作。

Maria Callas Live: Bizet's Carmen Habanera, Hamburg 1962(カルメンは02:07〜)


スペイン出身のバスク人サラサーテが、ジプシーの間に伝わるメロディーを織り成して作った『ツィゴイネルワイゼン』はロマン派の名曲。

Sarasate Plays Sarasate Zigeunerweisen



ロシア民謡として伝わる『黒い瞳』は、ジプシーの女性に恋をした男が、その漆黒の瞳に取り憑かれ溺れていく様を歌った歌。



ジプシー・ジャズというジャンルを生み出し、ジャズ・ギターにおいて不動の地位を築いたジャンゴ・ラインハルトは、ロマの一族の元生まれました。

Django Reinhardt - Minor Swing (1947)


以上のような例は枚挙に暇がありません。ジプシーたちは、旅をしながら占いや呪(まじな)いごと、踊りや音楽を生業として暮らしてきました。その中で培われていった表現力、異界から現れた客人(まれびと)としての異質性は、中世以降のヨーロッパの文化に鮮烈な色合いを加えました。


実は、そんな彼らの起源はインドに辿ることができます。

サンスクリット語をはじめとするインドの諸言語とジプシーたちが用いる言葉が近似していることから、彼らのルーツがインドにあるということは古くから考えられていました。

しかし近年の遺伝学的研究によって、およそ1500年前に北西インドからバルカン半島に移住してきた一群がジプシーの母集団であることが裏付けられたのです。[1]

彼らは千幾百年もの間旅をし続け、インドから中央アジアを越え、バルカン半島を渡りヨーロッパの地へ辿り着きました。

彼らの呼称であるジプシーは「エジプト人」を意味するエジプシャン(Egyptian)から来ています。なぜインドルーツであるにも関わらずエジプト人と呼ばれるようになったのかは諸説ありますので以下ご紹介いたします。


インドからジプシーたちがヨーロッパにやってくる前に、ベネツィア商人やその他興行師に中東から連れてこられた褐色の肌をした人々がいました。当時中東世界にはエジプトやシリア、ヒジャーズ地方を支配するマムルーク(奴隷出身の軍人によって開かれた)朝が君臨しており、そこを出身とする彼らは「エジプシャン(エジプト人)」と呼ばれました。軽業やジャグリングなどをする曲芸士や、音楽家や踊り子によって組織されていたその集団と、後にやってきたインド出身のロマたちが一緒くたにされ、「エジプシャン」と呼ばれるようになり、それがなまって「ジプシー」となった、というのが一つの説です。[2]

他にも、ペルシアやオスマントルコの軍隊に追われたロマたちがエジプトに逃げ、そこで傭兵として雇われた後渡ったヨーロッパで「エジプシャン(エジプト人)」と名乗った、という話も聞いたことがあります。


ジプシーの人々をテーマにした映画を見ているとわかることですが、彼らにはもともと文章を書く習慣がなく、特別な境遇で教育を施されない限り文盲であることが多かったようです。それは歴史を辿れるような資料が、彼ら自身の手によっては残されなかったことを意味します。史料を元に史実を浮かび上がらせようとしても、なかなか一筋縄ではいかない、というわけです。

インドが起源であることがはっきりしてきたのも、ようやく最近のことのようですし、素人の私が歴史に触れるのはこのくらいにしておきましょう。


さて、この記事の眼目としてご紹介したいのは、そうやって西に渡って変遷を遂げたジプシーたちの魂が、現代にその出身地へと翻りできた音楽です。

Thierry Robin - Katchur Khan


長きに渡って顔を合わせることのなかった友人同士が再会し、お互いがちっとも変わらないことを喜んでいるかのような、自然な調べではありませんか。

流麗たるギターを奏でるはフランス出身のギタリスト、ウードの奏者でもあるティエリー・ロビン(Thierry Robin)。歌い手の女性は北西インドはラジャスタン州出身のグラビ・サペーラ(Gulabi Sapera)です。

ティエリー・ロビンは若かりし頃からアラブ人やジプシーのコミュニティに交わって音楽を学んだようです。インド人、トルコ人、クルド人、ブルトン人(フランスのブルターニュ地方に主として暮らすケルト系民族)やアシュケナージ系のユダヤ人といった、多様なバックグラウンドを持つミュージシャンたちと作品を作ってきた彼の音楽人生は、そのものがジプシーたちの流浪の歴史を体現しているかのよう。それでこのギターの筋の入り方、納得です。

グラビ・サペーラはインド北西のラジャスタン州、タール砂漠を住まいとするカルベリヤ(Kabeliya)一族を出自とする踊り子、歌い手です。このカルベリヤ族が私にはとても興味深いので、少し詳細に紹介させていただきます。


カルベリヤ族は、蛇使いの一族でもあります。

一家の男は、例えば近境の村に毒蛇(コブラ)が現れるとそれを捕獲しに出かけます。

彼らはコブラを殺しません。家々を巡りその玄関先で楽器を奏で、コブラを操ることで門付け(芸を披露して金品を貰うこと)をします。その傍らで踊るのが一族の女性の役目です。また、摘出した毒を薬として売ることで生計の足しにしていたようです。インドの伝統医療であるアーユル・ヴェーダでは、この毒を目薬として用いています。

コブラと共に生活するのには信仰上の理由もあるようです。彼らの先祖はゴーラク・ナートというハタ・ヨーガの伝統では1、2位を争う重要な行者の弟子だそうですから、シヴァ神(ハタ・ヨーガの開祖)と何か関係があるのかもしれません。


ある西洋人がこのカルベリヤの人々のコミュニティに潜入して、ドキュメンタリー映像を残してくれています。

COBRA GYPSIES - full documentary


13:18〜 コブラを扱うシーン

20:40〜 葬式のダンサー

30:40〜 結婚式でDJパーティ、踊る

33:30〜 シヴァは人生で一回もシャワー浴びたことがない

47:00〜 ダンスバトル

全編を通すと50分強もあるため、お忙しい方向けにいくつか名場面をピックアップしてみました。


厳しい暑熱の下砂埃に塗れながらも、音楽に踊躍し生を謳歌するその姿に、世界中に広がったジプシーたちの面影が見えるようです。

このインドの北西ラジャスタンから、まさにジプシーたちの通った道筋を辿り直して撮影された『ラッチョ・ドローム』という映画があります。スロヴァキア、トルコ、ハンガリー、エジプト、南フランスを経て最終的にはスペインのアンダルシア地方に行き着きます。

全編に音楽が鳴り響く映像詩のような体裁をとった映画ですが、余計な物語的装飾がない分、時と空間を隔てても、彼らの中に共通して息づいている魂が、リズムと旋律に乗って響いてくるようです。


私がジプシーたちに惹かれるのは、音楽をはじめとした彼らの芸が素晴らしいからということもありますが、それ以上に、彼らの生活態度そのものにある種の「崇高さ」を感じるからです。それは、祈りの姿や、品行の正しさなどに表れる表面的な徳性でもなく、敬虔な信仰心でもなく、むしろ遊動生活という生活形式を主に由来とする「無所有(むしょう)」の構えにあるのではないかと思います。


「無所有」といっても、もちろんいわゆる沙門や遊行僧のように袈裟と頭陀行のための鉢一つ、というわけではなく、馬といった家畜、車、衣服や芸のための道具をはじめ、彼らにだって持ち物はたくさんあるでしょう。しかしやはり大きな資本となり得る土地や不動産は、彼らには無縁のものです。

そういった生活のあり方は、彼らのほとんどが文盲だったという事実とも深く結びついているのでしょう。文章を著すということは、主張や約束事などを後世に残したり、多くの人に周知させるという目的を伴います。しかし彼らには、その権利を主張しなければならない土地といった財産はなく、またその権利を保証する国が存在しないのです。

私たちのように近代国家に生まれ育ったものには、それが一体どういった状況なのか想像し難いと思います。一つ例を考えてみましょう。


私たちが海外へ旅行に出かけ、何かの事件に巻き込まれ、死んでしまったとします。そうすると現地の警察組織は、一体それがどういった事件だったのかを調査し、もし加害者がいるのなら、それを見つけ出し、国家の名誉にかけて罰するでしょう。

なぜか。そこには義務があるからです。

私の手元にあるパスポートを開いてみると扉の頁に、以下の記載があります。

「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。」

このような要請の下受け入れた他国民が自国で死亡し、その始末がつけられないというのは、法治国家の面目としてあってはならないことなのです。

しかしこうして日本人旅行者に、その行き先の諸官から保護扶助が与えられるのは、私たちが日本という近代国家に属しているからです。もし死亡したのが、土地に来たばかりの、国籍も持たない流浪者だったとしましょう。いなくなったからとて現地の人々にとっては縁もゆかりもないのだから、その事件をわざわざ問題にする義理も何もありません。もし家族がいれば、文句を言う人もあるでしょうが、それが警察という国家機関を動かし得るかというと、甚だ疑問です。


もちろん人権問題などが盛んに問われる今日において、ジプシーの人々が全くどんな保護も受けられない、というケースが存在するのかどうか、私には定かではありません。それに、1500年もの時を流れ者として暮らしてきたのですから、自らの身を守る方法は、それぞれ心得ているはずです。しかし私が以上のような例を拵えてまで言いたいのは、国家に属しているということは、その国家に守られているということを意味し、国籍を持たない、ということは、どんな国家権力も頼りにはできない、ということです。国の都合で、それまで住み慣れてきた土地を突然追い出されるジプシーの例は、歴史を見ればいくらでも見つかります。


話を戻します。「崇高さ」についてでしたね。

先ほど、その「崇高さ」は「無所有」の心構えに由来するものだというお話をしました。それは、「独立不羈(ふき)」の精神とも換言できるでしょう。「羈」とは手綱で馬をつなぎとめ、自由を奪うことを表す字です。所有は執着を生みます。執着とは、ものごとに自分の精神のあり方が依存してしまうことです。人は所有すればするほど、守らなければいけない物が増え、ああだこうだと心配するようになってしまいます。それはその人から独立を奪ってしまいます。

これはジプシーの人々に限ったことではありませんが、移動をその生活の手段とする人々、特に国家に属さない遊動民たちは、自らの手で守れるものしか携えません。法と登記に基づいて、例えば土地なんかの権利を所有してくれる国家を、彼らは持たないからです。自分と身の回りのものは、自分の手で守る。そのためには、自身の分際というものを、よく弁えていなければなりません。手に余るものがあれば、それはたちまちに奪われてしまうでしょうから。


また、見知らぬ土地の人々に受け入れられるためには、そこで生きていくには、自らの存在価値を示していかなければならないでしょう。

時には人生の高揚を演出し、時には絶望に寄り添い慰めてくれる、美しい音楽の調べ。この世のものとは思えぬ妖艶な舞踊、抗い難い現実を変えるためのよすがとなるおまじないや儀式の術。それらは全て、他者の土地で生きていくために必要な渡世の技術となりました。

アート(art)という言葉は、ラテン語のアルス(ars)、さらに遡ってはギリシャ語のテクネー(techne)という言葉に由来します。テクネー(techne)が技術を表す英語テクニック(technique)の語源であることからもわかるように、もともとアート(art)は「技術」を表す言葉でした。

これは英語における今の用法にも残っていますが、art of~というときは、〜についての卓越した技術、技芸のことを意味します。

だから『孫子』の兵法はアート・オブ・ウォー(art of war)と呼ばれるのです。また、この定義に則るならば、修行を積んで培われる職人達の技術もまたアートなのだと言えます。

そういった意味では、歌舞音曲に通じたジプシーたちは、まさしくアーティストの集団です。それをもって生きていかなければならない、という切実な現実の元で研ぎ澄まされていく表現に凄味が生まれるのは、納得のいくことだと思います。


さて、ジプシーにまつわる話をしていたら、いつの間にか「崇高さ」について語ることになってしまいました。どうせなら、今後の研究課題になるように、一つこれをまとめてみたいと思います。


ジプシーの人々がもつ「崇高さ」は、己の分際を弁えていること、また、生きていくための術(アート)の卓越性や、それに裏打ちされた独立不羈の精神に由来する。


遡れば、ジプシーという言葉を意識し始めたのは、高校生のときに地元のアイリッシュパブで先述のジャンゴ・ラインハルトのレコードを聞いてからだと思いますが、インドを旅するようになって、その生活感がまたぐっと身近になったような気がします。というのも、インドには、最小限の身の回りのものを携え、土地から土地へと遊歩して暮らす人々がたくさんいるからです。彼らは遊行者(サニヤシン)と呼ばれています。サニヤシンは、「所有を放棄した者」を指すサンスクリットの言葉ですが、そういった意味では、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタも、サニヤシンだったのです。

ジプシーの人々と、こうした遊行者たちには、形式的には異なっていても、両者に共通する何かがあるのではないか、と私は感じています。今回、この文章を書く中で、行き着いた「崇高さ」という言葉は、その何かを示す符牒なのかもしれません。


記事のトップを飾っている絵は、アンリ・ルソーの『眠れるジプシー』ですが、これも高校生のときにニューヨークの現代美術館で現物を拝み、とても印象付けられたのをここに附しておきます。ちなみに私の中では、その絵にはいつもこの曲がセットなのでした。

Bill Evans and Jim Hall Duo - Dream Gypsy



これからも旅をしていく中で、ジプシーについて思い、調査していく予定です。文化的な背景や歴史など、興味深いことがわかればまたこうしてシェアさせていただきたいと思っています。


最後まで読んでくださってありがとうございました。次回を乞うご期待。

[1]https://www.nytimes.com/2012/12/11/science/genomic-study-traces-roma-to-northern-india.html?_r=0


[2] https://kopachi.com/articles/a-new-look-at-our-romani-origins-and-diaspora-by-ronald-lee/

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