• 平田博満 / Hiromitsu Hirata

五木の子守唄

私が「五木の子守唄」に出会ったのは、ブラジルのギタリストであるBaden Powellの演奏によるものでした。


彼はボサノヴァ黎明期のブラジル音楽の発展に大きく寄与したマエストロで、私は予てからギターヒーローとして崇め奉っており、ボサノヴァやジャズのスタンダードだけでなく、バッハといった西洋古典を曲そのものの趣を損なわずに解釈する独自の感性と、それを可能にさせる超絶技巧に、聞く度ため息を漏らしたものです。


ある日ふとYoutubeのおすすめに、彼が演奏した「五木の子守唄」が上がっているのを目にしました。とても有名な民謡であったにも関わらず、私は知らぬまま、Baden Powellが日本の曲を演奏しているということにただ興味を惹かれ、何気なくそのページを開いたのでした。



私にはほとんどギリシャや遠い地中海世界を偲ばせるような音楽として聞こえたりもいたしますが、そこには確かに「お花をあげましょぼんぼりに…」に通ずるような日本民謡の調べが聞き取れます。自然、原曲はいかなるものかという思いが立ち昇りまして、検索を進めました。すると出てきたものがこちら、山崎ハコさんによる演奏です。





歌詞は方言混じりで一聴には理解できない箇所もありますが、「おどんがうっ死んだちゅうて 誰が泣いてくりゅか」といった節が曲調と相俟ってなにか痛切な響を持って聞こえて参ります。

それではこの山崎ハコさんの歌から聞き取れた歌詞をこちらでご覧にいれましょう。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんど

盆が早よ来りゃ 早よもどる


おどま勧進勧進 あん人たちゃよか衆

よか衆ゃよか帯 よか着物


明日は山越え どこまで行くか

鳴くは裏山 蝉ばかり


おどんがうっ死んだちゅうて 誰が泣いてくりゅか

うらの松山 蝉が鳴く


蝉じゃござんぜん 妹でござる

妹泣くなよ 気にかかる


おどんがうっ死んだば 道端いけろ

通る人ごち 花あぎゅう


花はなんの花 つんつん椿

水は天から もらい水

では少しく、私の分かる範囲で歌詞の解説をさせていただきたいのですが、その前にこの歌が歌われたその土地と人の背景をご紹介しましょう。


この曲が採取された熊本県球磨郡五木村は、人吉市という江戸期までは城下町であったところから山間に25キロほどいった小さな村であるそうです。五木村の隣村である五家荘村には、時を遡って平安の末期に、源平合戦の末壇ノ浦の闘いで敗れた平家の落人が逃げ延びたという「落人伝説」が残っておりまして、五木村にはその平家の落人の動向を監視させるために源氏の一族が使いを送り、定着させたと言われています。その定着した源氏方の子孫が三十三人衆という地主階級を形成し、小作人に田畑や農具を貸し出して農園を経営するという構図が出来上がりました。


早い話が、この歌に歌われている「よか衆」とは、「よか帯・よか着物」を身につけているこの地主階級のことを指し、「勧進」とは、「よか衆」に借りた土地や農具によって田畑を耕作をし、安い報酬によって苦しい生活をしていた小作人達、あるいはその家族を指す、というわけです。(「勧進」については後述。)


その小作人達の家は、地主に貰うわずかばかりの報酬では家族を養うことができず、まだあどけない娘っ子を子守り奉公に出すことでようやく口に糊をしていました。

家族から離れ、他所様の家で他人の子をあやすという孤独で肩身の狭い仕事。そんな中で、自らを慰めるように歌ったのが、こういった「子守唄」あるいは「守り子歌」だったようです。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんど

盆が早よ来りゃ 早よもどる


「おどま」は一人称、つまり「わたし」。

子守奉公は盆限り、盆が過ぎれば家族のいる自分の家に帰れるということです。


おどま勧進勧進 あん人たちゃよか衆

よか衆ゃよか帯 よか着物


「勧進」は、本は新たにお寺や仏像などを建てる際に仏教僧が方々を巡って寄付を募る行為を指していました。お布施をすることは出家在家に関わらず功徳を積むことでもありますから、それを勧めて回ったということですね。仏教僧は元来乞食(こつじき)つまり、他人に食べ物を乞うて本人は無一物に生きるのがインドからの伝統ですが、それが転じて乞食(こじき)といって、仕事を持たないがため食い扶持に困って人の恵みを乞わなければ生きていけなくなってしまった人々を指すようになりました。ここでいう「勧進」とは後者の意味での「乞食(こじき)」、有産者の陰で暮らす下層民のことを意味します。

ここでは、身分も低く貧しい境遇の自分と、いい服を着て不自由なく暮らす地主の人々との対比が歌われているようです。


おどんがうっ死んだちゅうて 誰が泣いてくりゅか

うらの松山 蝉が鳴く


そしてそんな乞食のような自分が、死んだからといって、誰が泣いてくれるだろうか。裏の松山で蝉が鳴く。


蝉じゃござんぜん 妹でござる

妹泣くなよ 気にかかる


おどんがうっ死んだば 道端いけろ

通る人ごち 花あぎゅう


わたしが死んだらば、ねんごろに弔ってくれるものなどはないだろう。

だから、道端にでも埋めておくれ。通りがかりの人が、花でもあげてくれるだろう。


花はなんの花 つんつん椿

水は天から もらい水


花も水も、霊前に供するものです。

私はこの一節から、聖書にある一句を思い出しました。


「栄華を極めたソロモンでさえ、この花(野百合)一つほどにも着飾ってはいなかった。」

(『口語訳聖書』マタイによる福音書第6章28節)


ソロモンは古代イスラエル王国の王で、父ダビデから受け継いだ国を強化発展させ黄金時代を築いた賢君として知られています。「オフィルの金で作った冠を頂き、キプソスの象牙で作られた宝座に座り、ツロ紫の衣を身に纏い、シバの宝石で飾り立てた」[1]というソロモン王の絢爛も、野辺に咲いているありふれた百合の花の美しさには劣るとキリストは喝破したのです。

聖書では、キリストはこの話をすることで、だから地上の富である衣服について何を着るか、などといったことで思い煩うことなく、ひたすらに神の義を求めよ、と聴者を諭すのですが、この句には「神の義」が何か解らない、キリスト教を信仰としていない人でも、心打たれるものがあると思います。


もちろん、これを歌った守り子の娘たちに、そこらに咲いている椿が、キリストが百合の花について言うように高尚なものである、という意識があったと言いたいわけではありません。しかし、少なくともこの歌には、「良か帯、良か着物」といった「地上の富」は得られなくても、天然なる椿の花は人を選ぶことなく私にも咲いてくれる、水はお天道様から恵んでもらえるという思いがあるのではないでしょうか。


天が私たちに垂れたまう恵みは本来、貴賎貧富を選ばず、万人が一味平等に与ることのできるものです。どんなに社会でのけ者にされようと、背負った因縁が深く進退極まる困窮に陥ったとしても、最後のセーフティネットは天が担保してくれている、という観念が、いにしえの人々には、信仰というほど強いものではないにしろ、いくばくかの救いとしてあったのではないかと思います。近代に始まった科学万能主義の余波未だに止まず、「天」や「神仏」といった概念が鳴りを潜めてしまった現代を生きる私たちが、失ってしまったものです。しかし実はそれが、困難が多く思い通りにはなかなか行かない人生を生きていくにあたって、とても強力な後ろ盾になってくれることがあるように私には思われます。「人間到る処青山あり」[2]は、感覚としては保障無制限の保険に入っているようなもので、どんなに当たって砕けてもお天道様が骨は拾ってくれる、というような感じがいたします。


さて、少し話が脱線してしまったようですが、この苦しさが滲み出てくるような言葉の数々の中で、その終わりに、「天」が出てくるのは、何か一種の救いの響きとして私には聞こえたのです。だからといって、苦しみが軽いものとなる、というわけではないと思います。それでもそこに、一縷の光があるかないかということが、人の精神がどこかに安らう上で、どうしても見過ごし得ない、重要なことなのではないでしょうか。

[1] https://green.ap.teacup.com/lifework/343.html


[2] 幕末の僧、釈月性の詩。「男兒立志出郷關 學若無成不復還 埋骨何期墳墓地 人間到処有青山」

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